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2019-20年ヴロツワフ大会:12/31 夕の祈りのメッセージ

以下は、テゼのヨーロッパ大会(ポーランドのヴロツワフ)で青年たちに語られた言葉です。



ブラザー・アロイスのメッセージ

2019年12月31日(火)/夕の祈りにて

「イエスは、群衆が自分の周りにいるのを見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。その時、一人の律法学者が進み出て、「先生、あなたがお出でになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(マタイによる福音書 8:18-20より)

ヨーロッパ大会はすでに終わりを迎えようとしています。いま一度、私たちを歓迎してくださった方々、ホスト・ファミリーやホスト教会の皆さん、ヴロツワフ市と周辺地域の皆さん、そして、手伝いにきてくださったポーランドの人々に心から感謝します。おかげで、とても歓迎されていると感じることができました。

ともに過ごしたこの数日間、私たちは平和の未来を築く深い願いを表してきました。まずはじめに、私たち一人ひとりの生活のなかで、家庭で、そして日々学び働く場所で。しかしまた、それぞれの国で、国を超えて、ヨーロッパで、そして世界で。

私たちはこの目で、すばらしい人間の多様性を目の当たりにし、その多様性にあって喜ぶことができました。ヨーロッパ全土で、それぞれの国が、一人ひとりが、それぞれの地域が、モザイクのような作品を形作ることに貢献し、これが世界の一部となっています。すべての国を似たようなものにするのではなく、地域の独自性、そして伝統と文化の多様性を重視すべきです。

歴史が時に深い傷を残してきたことを忘れないようにしましょう!ヨーロッパのさまざまな地域がどのように発展してきているのかを理解してみましょう。他者に対して持つことがある偏見をなくすためにできることはすべてしましょう。まず初めに自分自身から始めましょう。隣人を恐れず、互いにもっと耳を傾けあいましょう。

30年前にヨーロッパ全土で成し遂げられた自由の奪還は困難なことでした。多くの人は、特にここポーランドでは、そのために非常に高い代価を払いました。信仰に根を置くことを、時には命そのものをかけた献身(コミットメント)の源とした人々もいます。

この自由のための闘争の物語は、いくつかの驚くべき出来事によって際立っていました。その一つは、第二次世界大戦後にポーランドのクリスチャンがドイツの人々にゆるしを示したことでした。これは和解、新しい始まりに貢献し、これは私たちのヨーロッパの歴史における奇跡の一つです。

今日、緊張と無理解の時代に起きたこの出来事を思い起こすことは、今の時代も新しい未来が可能なのだという希望を見いだすこととなります。もちろん、この数日のワークショップで掘り下げたテーマを通して見てきたように、さまざまな課題があります。

これから私たち一人ひとりは家に戻ります。しかし、これまで以上に、私たちは大きな交わり(コミュニオン)、教会の交わりの一部であることに気づきました。このヴロツワフの街で、皆さんの存在が教会の顔を若返らせました。

変化するこの世界で、福音をこれまでにない新しい方法で表す道を模索しなければなりません。マリアがいつも柔軟に対応できる信頼の人であったことに、お手本を見いだすことができます。彼女はとても若くして、キリストの母となるという想像できないことを受け入れ、そのようにして人類の新たな始まりへの道を拓いたのです。

人類の進化が転換期にあるいま、キリストの誠、謙虚さ、喜びに付き従いましょう!このようにして、今日神がやってこられて、私たちの間にともにいてくださる道を備えることができるでしょう。明日の世界に向かって前進するために必要な想像力を神が与えてくださいます。つねに前へ進みつづけるために。大地から離れることなく。

 

ブラザー・アロイス(テゼの院長)
2019年12月30日 ポーランドのヴロツワフにて

 

<ライブ中継の様子>

2019-20年ヴロツワフ大会:12/31 昼の祈りのメッセージ

以下は、テゼのヨーロッパ大会(ポーランドのヴロツワフ)で青年たちに語られた言葉です。


 

2019年12月31日(火)/昼の祈りにて

 

「ヤコブよ、あなたを創造された方 イスラエルよ、あなたを形づくられた方 主は今こう言われる。恐れるな。私があなたを贖った。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。あなたが水の中を渡るときも 私はあなたと共におり 川の中でも、川はあなたを押し流さない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず 炎もあなたに燃え移らない。私は主、あなたの神 イスラエルの聖なる者、あなたの救い主。」(イザヤ書43:1-3

 

イザヤ書のこれらの言葉が書かれた時、イスラエルの人々は非常に困難な状況にありました。文化と信仰の中心地であるエルサレムは破壊され、ユダの民の大部分は強制移住させられ、捕囚生活を強いられました。かつての王国は、もはやバビロニア帝国の小さく取るに足らない部分となりました。

それでも、この時代に書かれたイザヤ書の章は、希望の章であり、絶望の章ではありません。どうしてそんなことがあり得るでしょうか? この筆者は現実に目を閉ざし、現実の世界があまりにも苦しいときに人々が逃避できる夢の世界を描いているのでしょうか?明らかにそうは思えません。それでは、この筆者はどのようにして、祖国が廃墟にされ、捕囚の生活を送る同胞の民が希望を取り戻すことを助けたのでしょうか?

まず初めに、神が誰であるか思い出させることによってです。神は、人々が苦しみを終わらせることに関知しない何か遠くにいる神ではありません。違います。神は人々を創られ、彼の民である一般の人々、そして一人ひとりについて、特に存在することを望まれたのです。

次に、彼らを名前で呼びかけることによってです。私たちは皆、もちろん名前を持っていますが、聖書とは異なり、ほとんどの人は非常に自由につけられた名前です。聖書の時代はそうではなかった。名前とは、その人のもっとも深いアイデンティティについて、何かを表すものでした。例えば、イエスの名前は「主は救う」という意味です。なぜなら、それがイエスの人生の本質だったからです。ですから、神が私たちを名前で呼ぶとは、「私はあなたを知っている。あなたになにが起こっているか分かっている。そのことを本当に気にかけている。」と呼ばれているということです。

三つ目に、著者は、過去の共通の経験を思い出させることによって、人々に希望を与えました。強制移住させられる前にも一度、エジプトで異邦人であったこと。そして主がその民を救いだされたこと。神は民を海の水の中へと導き、荒野のなかを火の柱によって約束の地へと導いたことを。

幸運なことに、私たちの殆どは、このテキストの時代に生きたユダ王国の人々のような困難な環境で生きているわけではありません。それでも、このテキストが日常生活の大きな、小さな困難に向き合う助けになると私は確信しています。それぞれ自分の国に住むことができていたとしても、私たちの生活、私たちの社会、そしてこの地球が廃墟のうちに広がっていると感じる瞬間があるのです。

あまりにも早く変化し、多くの人々が好むと好まざるにかかわらず、ひとつの場所から別の場所に移動する世界では、ブラザー・アロイスがテゼからの提案の5つ目で言っているように「心のうちに錨をおろして留まる場所を見つける」必要があります。私たちもイスラエルの人々にならって、私たちを創造し愛しておられるのは神であることを思い出せたらと思います。神は私たちを個人的に知っており、私たちを自由にするのは神であるということを。そして、神だけが聖なる方であることに気づくとき、最後には本当の意味で何も私たちを傷つけることはできないということにも気づきます。むしろ使徒パウロが言っているように、私たちの主、キリスト・イエスにおいて誰も神の愛から私たちを引き離すことはできないのだと。

2019-20年ヴロツワフ大会:12/30 夕の祈りのメッセージ

以下は、テゼのヨーロッパ大会(ポーランドのヴロツワフ)で青年たちに語られた言葉です。



ブラザー・アロイスのメッセージ


2019年12月30日(月)/夕の祈りにて

 

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」(創世記2:7-9, 15

 

先ほど聖書のはじめの数ページから一節を読みました。天地創造に関するこの詩的な記述は、人間がこの世界で担う責任、地球を大切にし、保護するという責任を強調しています。この責任は神から人類に委ねられています。

若者の皆さんに感謝し、励ましたいと思います。皆さんはこの責任をとても真剣に受け止めておられます。皆さんのなかには、環境保護、生物多様性の保全、ライフスタイルの簡素化のための具体的な取り組みに携わる方がとても沢山おられ、その姿に私たちはテゼで感銘を受けています。

この責任があまりにも軽んじられてきたことについて、私たちは同世代の人々とともに、皆さんに許しを請わなければなりません。消費主義があまりにも拡大し、幸せとはモノを消費することだけによって決まるかのように幅をきかせています。若い皆さんが、ライフスタイルを変えるよう、私たちを励ましてくれています。より地に足の着いた、本質的なものに焦点を当てた生活となるように、と。

明朝、皆さんは「テゼからの提言 2020年」を読み、気候変動と環境問題の緊急事態に直面するなかにあって、さまざまなキリスト教の教派がともに立ち上がり、共通のメッセージを発信することが可能だということを学ぶでしょう。そうです。このエキュメニカルな(教派を超えた)新しい取り組みには、ともに協力、団結するようにという美しい招きがあります。

こうした現代の大きな課題に対処するには、どこで支援を得られるか知る必要があります。この数日、私たちは「つねに前へ進む。大地から離れることなく」という言葉にインスピレーションを得ようとしています。つねに前へ進むことは、ずっと不安定な状態のまま生きるということではありません。私たちは、変わることのない現存(リアリティー)に自分たちの根を張ったままにしておく必要があります。

最近、私はテゼに数か月滞在しているボランティアの一人と話をしました。彼女は日本から来ており、福島でも知られる東北の地で津波の被災者を支援する活動に参加していました。彼女の言葉が耳に残っています。「そこにいた多くの人々が土地を離れ(uprooted)、すべてを失いました。」 

苦しみを目の当たりにして、私たちは、ときに自分がとても無力だと感じます。祈りはつねに私たちのために開かれた道であるということを忘れないようにしましょう。他の人や自分が受けている試練を神に委ねることで、何が変わるでしょうか。私たちには分かりませんし、幸いなことに、神が私たちの祈りにどれほど厳密に応えられるのかを推しはかることはできません。神は私たちの計算をはるかに超えておられます。

しかし、一つ確かなことがあります。すべてを神に委ねることで、私たちは隣人と深い連帯を結ぶことができます。私たちは、試練を受けている人々とともに今日苦しんでおられるキリストご自身の連帯に結びつけられています。祈ることは、私たちを前へと進ませ、私たちに他人と自分自身に対する責任を担わせます。

祈り始めるとき、祈りに集中できないことがあるかもしれません。または、言葉にはつねに難しさが付きまとうと感じるかもしれません。そんな時には、私たち自身の心の一番奥にキリスト・イエスがおられ、私たちのことを分かっておられることを思い出しましょう。私たちの祈りはとてもつたないものかもしれません。しかし、イエスは私たちの心を知っておられます。勇気を出して、一人で、または他の人たちとともにささげる美しい祈りの中で、イエスと安らぎのひとときを過ごしてみましょう。

この晩、私たちを歓迎してくれているすべての人々、特に巡礼者を泊めるために家の扉を開いてくださった皆さん、そしてヴロツワフのキリスト教コミュニティーの指導者の皆さま、行政当局の方々にいま一度感謝いたします。一部の方々は、今晩私たちと一緒にここにいてくださっています。

信頼の巡礼は続いてゆきます。一年と少しのちに、完全に特別な新たな巡礼の機会が予定されています。さまざまな国の若者と一緒に行く、聖地への旅です。これは20212月に行われます。昨年3月にベイルートで開催された大会の後、中東に平和を求めるすべての人々との連帯を示したいと思います。

その直前には次回のヨーロッパ大会が予定されています。今度私たちが集まるのは、皆に愛される国です。ヨーロッパ大陸の南の方へ戻ります。20201228日から202111日まで、トリノで開催されます。

 

<ライブ中継の様子>

 

 

2019-20年ヴロツワフ大会:12/30 昼の祈りのメッセージ

以下は、テゼのヨーロッパ大会(ポーランドのヴロツワフ)で青年たちに語られた言葉です。

ブラザー・アロイスのメッセージ

2019年12月30日(月)/昼の祈りにて

「私は、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです。きょうだいたち、私自身はすでに捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピの信徒への手紙 3章12-14節より)

皆さんはこんな夢を見たことがありますか?走ろうしているのに、両足が重く、ゴールにたどり着かない夢です。先ほど読んだフィリピの信徒への手紙の一節で、使徒パウロは自分の存在を徒競走(レース)にたとえました。パウロにとって、前に進むことは問題ではなかったようです。

このフィリピの信徒への手紙を書いたとき、パウロは、おそらくエフェソで牢獄にいれられていたといわれています。復活されたキリストがパウロに出会い、仕えるよう召されてから20年が経っていました。パウロはそれまでに使徒として自分が達成したことを誇りに思っていたかもしれません。しかし、パウロは言います。「私はまだゴールに達していない」と。すでに成し遂げたとは自分で思っていない。「前進」し続けようとするのです。

パウロが使っている“press on”という言葉は、言葉どおりでは「後を追いかける」という意味になります。かつて自分が教会を迫害していた時にパウロがそうしていたように、迫害する者は、打ち破りたい人を追いかけて走ります。けれども、その同じ言葉は、良いものを追求する際に私たちが注ぐエネルギーのことも表すのです。聖書の詩編に「平和を求め、これを追え」(詩編13:15より)と記されているように。そして、回心したパウロが、今や自分の力の限り、キリストとの一致を追い求めているように。

20年もゴールに辿りつかないまま走り続けて、なぜパウロは苛立ちを覚えなかったのでしょうか。違いを生んだのはキリストです。パウロは言います。「私は、すでに望むものを捕まえたわけではないが、キリスト・イエスはすでに私を捕えておられる。」ここに根本的な非対称性があります。つまり、パウロは賞を獲得するためになお走り続けているのに、キリストはすでにレースを終えて、勝っているのです。神は、パウロを自分のものとされたのです。パウロだけでなく私たちも、そしてすべての人類をも。

パウロは、自分の走るテクニックの秘訣を教えてくれています。「後ろのものを忘れる」、また「前のものに全身を向ける」ということです。「後ろのものを忘れる」というのは、「ゆるし」にしばしば結びつけられる聖書のトピックです。神のゆるしは、ねじ曲がった過去の重荷から人々を自由にします。神は言われます。「わたしは再び彼らの罪に心を留めることはない」(エレミヤ書31章34節より)と。そして、最後にはさらにこう言われます。「初めからのことを思い出すな。(…)見よ、新しいことをわたしは行う。」(イザヤ書43章18-19節より)

「後ろのものを忘れる」ことを許されることが私たちの歩みを軽くします。しかし、すでに進んできた距離を忘れることは、私たちを心もとなくすることもあります。歩みを始めたばかりの、初心者、未熟者ということになるからです。4世紀の司教ニュッサのグレゴリオスは、私たちは「終わりなく、始まりから始まりへ進む」と記しています。まったく新しい始まりには、新鮮さがあります。新しい始まりは、また決してもう到達したのだといえないのだということも意味しています。

パウロの走るテクニックでは、「後ろのものを忘れる」ことの両輪となるのが、「前のものに全身を向ける」ことです。現在(いま)は重要ですが、大切なのは未来もです。現在の生活が競争で苦しみに満ちていても、後に到来するもの―キリストと共にある生活、他の人々と共に生きること―への憧れにより、その道のりは軽くされ、短くされています。

私たちは疲れて、足が重くなってきたとき、落胆しないようにしましょう。私たちはすでに何かを成し遂げた人々ではないということを認めましょう。私たちは、2020年の提言にあるように、つねに前へ進みます。私たちは今こそ、「後ろのものを忘れて」、あえて初心者になりましょう。聖霊が、私たちの心のうちに愛の炎を灯され、そのともしびによって「前のものに向かって」歩みを進めることができるように。

 

ブラザー・アロイス(テゼの院長)
2019年12月30日 ポーランドのヴロツワフにて

2019-20年ヴロツワフ大会:12/29 夕の祈りのメッセージ

以下は、テゼのヨーロッパ大会で青年たちに語られた言葉です。


「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」(マルコによる福音書 6:30‐34より)

 

ブラザー・アロイスのメッセージ

2019年12月29日(日)/夕の祈りにて

今晩、私たちの「信頼の巡礼」で最近あったことを少しお話ししたいと思います。南アフリカのケープタウンで、ケープタウンのさまざまな教派の教会から招かれて行われた青年大会についてです。

南アフリカは、アパルトヘイトに反対する力を世界に示し、そして非暴力によって変わっていくお手本となってきた素晴らしい国です。しかし、歴史の傷はなお深く、テゼのブラザーたちはこの国に2年住んでいますが、これを見て取ることができます。

白人、黒人、そして有色人種の人々には異なるライフスタイルがあり、それほど頻繁に会うことがありません。異なる区域に住んでいて、いくつかの橋が間に架かっているだけです。このようななか、5日間青年たちを迎え入れるように人々にお願いすることは難しいことでした。その青年が黒人か、白人か、いくつかの血筋をひく混血の人なのか、あらかじめ知ることができないのですから。

ある日準備の集いのひとつで、ご婦人がこのように言いました。「もちろん、恐れる気持ちはあります。でもやらなくてはいけないことだと、私たちはみな分かっています。」自分の家の戸を開き、よそ者を迎え入れることは、決して簡単なことではありません。ケープタウンでは、その困難はさらに大きなものだったのです。

大会のはじめに、2,000人の青年たちに、私はこう伝えたのです。「テゼから皆さんにお伝えできる特別なメッセージはありません。互いを歓迎しあうことによって、私たちの大会が伝えたいメッセージを生き抜こうとしているのは、皆さんの方だからです。」

私たちはそれぞれの国で、他の場所から、ときに遠い場所からやってきた人を受け入れるように招かれています。自分にとっては困難なことで、不安に感じることがあるかもしれません。同時に、迎え入れることは私たちをとてつもなく豊かにします。ポーランドでは、皆さんはウクライナから出稼ぎに来たたくさんの人々を迎え入れておられます。ですから、このヴロツワフ大会で、ポーランドの人々に次いで、2番目に大きなグループがウクライナの人々であることをとても喜んでいます。

テゼでの私たちの実体験から言えることは、難民を受け入れるにあたって、私たち自身がたくさんのもの受け取るのだ、おそらく私たちが与えるよりも多くのことを受け取るのだということです。もちろん、必ずしも簡単なことではありません。私たちが向きあわなければならなかった試練の一つは、サミールという名の若者の死です。彼は祖国スーダンを離れた後、リビアで奴隷となることを強いられ、その後、その場しのぎで作った船で地中海を横断しました。

しかし、その後フランスに到着すると、サミールはわずか数週間後に心臓病で命を落としました。大変なショックでした。その数か月後、私はスーダンに行き、彼の母親を訪ねることができました。首都ハルツームにあるささやかな家で彼女を探し出したとき、お母さんはただ泣き叫びつづけられました。

それから、しばらくたつと、彼女は背筋をまっすぐにしてこのように仰いました。「神が彼を私たちに与えられ、神が彼を戻されました。神のみ名がほめたたえられますように。」私はこの出会いを決して忘れないでしょう。お母さんの言葉を心に留めています。ムスリム(イスラム教徒)であるお母さんの言葉を。

この地上でよそ者のように生きている人々がいます。それは遠くから来たからではありません。疎外されているからです。彼らの苦しみは、孤独や見捨てられていること、虐待、あるいは病気、不安、失業によるものかもしれません。すぐに目に見える貧困もありますが、あまり目に見えない形の貧困もあるのです。

物質的にいえばなに一つ不自由がない人でさえ、どこにも属さず、地上のよそ者であるようかのように、自分の人生にどんな意味を見いだすことができるのか疑問に思う人もいます。どのようにその人たちに近づき、耳を傾け、心動かされるままに彼らに向きあうことができるでしょうか。

ただ単純に他の人に心に留めること、友愛の絆がもっとも大切な価値のひとつです。明日の朝、皆さんはそれぞれのホスト教会で、小さな分かち合いのグループに分かれてこのことを深く振り返ることができると思います。今晩聞いた聖書のテキストが助けになると思います。

イエスがどのようにして病人、仲間外れにされた人々、よそ者のところへ行かれたのか、思い出しましょう。私には今日何ができるのか、自分のなかで問いかけるとき、イエスの姿にインスピレーションを得るでしょう。

 

ブラザー・アロイス(テゼの院長)
2019年12月29日 ポーランドのヴロツワフにて


<ライブ中継の様子>

2019-20年ヴロツワフ大会:12/28 夕の祈りのメッセージ

以下は、テゼのヨーロッパ大会で青年たちに語られた言葉です。


「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。」(創世記 12:1-5より)

ブラザー・アロイスのメッセージ

2019年12月28日(土)/夕の祈りにて

今日は大変なウェルカムの1日でした。皆さんが大会のよいスタートが切れていることを願っています! ともにヴロツワフに、そしてポーランドに集まれたことは大きな喜びです。ポーランドは、ここヴロツワフで2回、ワルシャワで1回、そして前回はポズナンと、過去4回のヨーロッパ大会をホストした地です。

今夜、私たちを歓迎してくださるすべての方々に取り急ぎお礼を申し上げたいと思います。なんという美しいおもてなしでしょうか!すべての青年がホストファミリーに迎え入れられていることは、福音(よい知らせ)のしるしです。ポーランドには“Gość w dom, Bóg w dom”という言葉があります。「お客様がわが家にいらっしゃるとき、そこには神様もいらっしゃるのだ」と。

今日は、皆さんが到着したとき、「テゼからの提言 2020年」を受け取ったと思います。提言のタイトルは、「つねに前へ進む、けっして大地から離れることなく」です。この言葉は、あるポーランド人の女性の人生を表して何年も前に最初に用いられた言葉です。ウルシュラ・レドゥホフスカです。

時代に先駆けて、ヨーロッパ市民となった女性です。彼女はヨーロッパ各国を訪れましたが、彼女の修道会であるウルスラ会から派遣されたシスターたちは、後にそうした国々に拠点を置いて住み始めることとなりました。こうして派遣されたシスターの何人かは、今もテゼに住んでおり、聖アンデレのシスター方とともに、青年たちを歓迎し、彼らに寄り添う働きを助けてくださっています。

ここポーランドでは、信仰(信じること)が多くの人々のなかに深く根差すルーツ、原点となっており、逆境にあっても人々が並外れた勇気と大胆さを表してきた歴史があります。今度は私たちが、私たち一人ひとりに対する神の愛を迎え入れることによって、信仰の根を深めたいと思っています。

ここには、多様な人々、さまざまな出自や異なる意見を持つ人々が集まっています。 この多様性によって、私たちが交わり(コミュニオン)を経験することができなくなるものではありません。むしろ、多様性により、私たちは間違いなく神のみ旨に近づくことができます。交わりそのものであるキリストを通して、私たちが一致することを願うのは神だからです。

そして、この多様性の中の一致は、教派の壁を越えた証言となります。今日(こんにち)の世界の困難のただなかで、またヨーロッパ全土が課題の多い時代に直面するなかで、私たちはこれまで以上に、この交わりのメッセージを伝えるべく模索できると思います。

1989年、私たちはここヴロツワフにいました。歴史的なときでした。情熱と自由の風が吹き、希望を生み出していた。今日(こんにち)、私たちの信頼の巡礼は、さらに難しい文脈のなかで新しい始まりを迎えようとしています。

ですから、私たちのこの大会はいっそう重要となっているのです。私たちは、世界で自らの責任をより良く果たすために、ますます一致と連帯へ向かっていきたいのです。

私たちが生きようとするこの一致と連帯のなかで、もっとも貧しい人々が自分の場所を得ることを望んでいます。皆さんを歓迎してくださる教会では、排除されている人や病気にかかっている人を助け、囚人や外国人などを訪ねる活動をする人々に会うことと思います。それらは希望のしるしです。

つねに前へ進む、けっして大地から離れることなく。今晩、私たちは聖書の創世記という書物から一節を聞きました。アブラハムという人物について語られ、彼がどのようにして、神の約束だけを頼みに、すべてをおいて妻サラと共に知らない土地に向かって行ったのかが表される箇所です。

今こそ、彼らと同じように原点に立ち戻りましょう!神が私たちを導いてくださると信じましょう。恐れをおいて、信頼の道に入るよう神は促しておられます。神を信頼し、他者を信頼します。この神への信頼は、私たちに偽りの安全を手放すよう呼びかけています。

どうか私たちが、聖霊がともにいてくださることに、より頼むことができますように。聖霊によって、私たちは試練の時に勇気が与えられ、また、目まぐるしいスピードですべてが変化している人類の歴史のこのときに、必要とする創意工夫が与えられます。そうです。神は、私たちが恐れをおいて、信頼の道へ入るよう促しておられるのです。

ブラザー・アロイス(テゼの院長)
2019年12月28日 ポーランドのヴロツワフにて


<ライブ中継の様子>

 

2018年8月: 香港での青年大会

 

テゼ:信頼と和解の巡礼:香港 2018

世界の若者たちが五日間集い、ともに神に心を向け、希望の道を探求し、信頼と和解の巡礼に歩みだします。ぜひご参加ください。

チラシ(PDF)をダウンロード

Taize2018hk_a4

日程201888日(水)~12日(日)

対象:1835歳の方(グループの引率者は35歳以上でも可)

参加費11000円(宿泊・食事込み)(航空運賃・現地移動費は含まれていません)

プログラム:一日三回の共同の祈り、学びと黙想、分かち合い、様々なテーマによるワークショップなど。

宿泊:ホームステイ、修道会、学校など

ボランティア:2日前に到着し、様々なタスクをボランティアとして手伝うことが可能です。

申し込み:テゼの英語サイトからオンラインで

締め切り2018615

(グループでの参加を計画している方は、hk2018@taize.frに連絡)

日本での問い合わせ先:taize2018hk.jp@gmail.com

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テゼのブラザー・ハンヨルを迎えての集い(祈り・黙想・香港大会の説明など)

 関東●5月27日(日)午後3:006:00

   学生キリスト教友愛会(SCF) 杉並区高円寺南5-14-9 03-5377-1503

関西●6月2日(土)午後5 :007 :00

  芦屋聖マルコ教会 芦屋市公光町2-10 0797-22-5504

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香港キリスト教協議会、カトリック香港教区、香港聖公会などの諸教会がみなさんを歓迎します。


2013年10月: 韓国での東アジア大会

テゼ:信頼(そして和解)の巡礼
韓国テジョンでの東アジア青年大会

2013 年10 月2 日~6 日

韓国大会

■ テゼ共同体と「地上における信頼の巡礼」

テゼ共同体は、フランスにある国際色豊かでエキュメニカルな(教派を超えた)修道会です。毎年、世界中のあらゆる地域から、またカトリック・プロテスタント・正教会その他から(宗教上の背景に関わらず)、何万人もの若者が、週ごとのプログラムに参加するためにテゼを訪れます。(「テゼ」とは、テゼ共同体があるフランス東部の村の名前です。)

テゼ共同体は、分裂したキリスト者の間で、そして互いに隔てられた人びとの間で、「和解のしるし」として生きることを望んでいます。テゼは、世界の至るところで、若者とともに「信頼の巡礼」を企画しています。しかし、これは組織的な運動を起こそうとするものではなく、若者がそれぞれの家庭や共同体、自分の教会や大学で、いつも心に平和と信頼を携えて、他者との調和のうちに生き続けることを励ますものです。

テゼはまた、黙想的な歌と沈黙の祈りという礼拝スタイルでもよく知られています。単純素朴さと歌の繰り返しが黙想的な特徴を生んでおり、ここにテゼの歌の美しさがあります。

■ テゼと韓国

韓国は、1953 年の停戦以来、厳密に言えばまだ戦争下にあります。この韓国には30 年以上前から、数名のブラザーが住んでいます。この数年で、フランスのテゼを訪れる韓国人の数も増えています。

「信頼の巡礼」の大会が、テジョン(大田)という都市で開催されます。テジョンは韓国の中心部、またソウルから南に約150km のところにあります。テジョンは来年予定されているアジアン・ユース・デー(カトリックの青年大会)のホスト教区でもあります。テジョンのユースミニストリーとそのチャプレンが、この大会に積極的に参加しています。

テジョン周辺の地域には、韓国教会の歴史に関連する名所が沢山あります。殉教者や信仰の証言者の記憶を残す巡礼地が沢山あります。大会の数日前に到着し、テジョン(またはソウル)の名所を訪れることを希望する団体の方で、詳しい情報が必要な方は、お知らせください。

大会には、教派や出身地がさまざまな韓国の若者が参加し、海外からの仲間を歓迎します。参加者は、数日間生活を共にしながら、地域の平和と和解への憧れを表してゆきます。東アジア諸国から集まる若者にとって、この大会は、互いにより深く知り合い、また友情と信頼を築く機会となるでしょう。

■ テジョン大会について

祈りと黙想のうちに神に近づき、人生の意味を発見(または再発見)し、新しい活力を見出す――。韓国での大会は、このような山々に囲まれた静かな場所を、若者に差し出すものです。

「信頼の巡礼」では、自らを深く見つめ、神に尋ね、そして互いに耳を傾けることができるように、個人的な黙想を助ける雰囲気を大切にし、そのための時間も十分にとりたいと思います。

大会の参加者は、さまざまな背景の人々と語り合いながら、心からのキリスト者として新しい視点から自らの信仰について考え、そして社会や教会で責任あるメンバーとして生きるよう励まし合います。

平和にあふれる場所で共にすごし、祈りと食事と経験を分かち合い、信仰の源泉に向かって進みながら、それぞれの場所での日常に向けて休息と活力を見出し、隣国同士で信頼の架け橋を結んでゆきます。

■ 開催情報

日 程: 2013 年10 月2 日(水)夕方から10 月6 日(日)朝まで (部分参加はできません)

対 象: 18 歳~35 歳の若者(先着300 名まで)

場 所: テジョン(大田)、トング(東区)の青少年自然研修センター

  • 最寄り空港はチョンジュ(清州)国際空港です。
  • ソウルのインチョン(仁川)国際空港からもそれほど遠くありません。

宿 泊: 黙想の家の簡素なドミトリーに滞在します(1室6~20 名)

費 用(目安):学生は約90~100 ドル、社会人は約120~130 ドル

  • 最終的な金額が確定したら、詳しい情報を追ってお知らせします。
  • 少し多めに負担することができる人は、全額払うことが困難な人たちのための「助け合い募金」に参加することができます。

プログラム:プログラムの内容は、フランスのテゼでの週ごとのプログラムと同様です。

  • テゼの歌と沈黙による一日3 回の祈り
  • 聖書の導きとそれに続く小さなグループでの分かち合い
  • 内面的なテーマや社会の問題についてのさまざまなワークショップ
  • 歌の練習など

(中国、日本、香港および台湾から参加する方々のために、通訳が用意される予定です。)

案 内: ダウンロード [PDF]

登 録:

登録フォーム(日本からの参加者) <受け付けは終了しました>

  • 申込期間 2013 年6 月15 日から8 月31 日まで
  • 団体(旅程が同一の3~10 名以上)での参加を歓迎します。個人での参加も可能です。
    • 団体参加の場合も、お一人ずつ登録フォームを送ります。
      (同じグループであることがわかるよう、同じリーダー名/グループ名を記入してください。)
    • 10 名以上のグループの方は、専用のフォームでまとめて登録することができます。

テゼのベルリン大会(青年対象)

ベルリンでの大会

Berlin_2

ベルリンの諸教会と市長からの招きによって、2011年12月28日から2012年1月1日に第34回ヨーロッパ大会がベルリンで開催されます。

ベルリンという都市では、人々が困難な状況の中でも落胆することがなかったため、東西ヨーロッパの多くの人々にとってシンボルとなっています。数多くの地域の教会には、さまざまな性格があります。

そして、ベルリンの人々の多くは、キリスト教信仰にほとんど触れたことがなく、または、まったく触れたことがありません。しかし、そのようなベルリンは、すべての人が温かく歓迎されていると感じることができる場所なのです。

教会がすべての人々にとってもてなしの場所となりうるのだという「しるし」を、この大会は示すことができるでしょうか。


ロッテルダム大会に向けて

<終了しました>

ロッテルダム大会開催に向けて

【動画】 ロッテルダム大会へ向けて(英語)

2010年12月~2011年1月に、オランダで初めて行われるテゼのヨーロッパ大会に向けて、オランダの青年が寄せたメッセージが収録されています。

Taize - On the way to Rotterdam from Taizé on Vimeo.

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